皆様には、アポイントを変更頂き、大変ご迷惑をお掛けしました。母親が、天国へ旅立ちました。

4月26日17:11分、母が、最後を迎えました。69歳でした。2月、今まで通っているかかりつけ医で、糖尿病と言われていましたが、状態が悪化し、超音波のエコーをして、膵臓に、大きな腫瘤が見つかりました。その翌日、岐阜に自分も帰り、大垣市民病院で検査をし、末期の膵臓癌が、見つかりました。ステージ5で、手術は不可能と言われました。動けるうちにと思い、母を説得し、その日のうちに、仙台に連れて帰る事としました。しかし、世の中は、コロナで、まだ、他県からの病院への移動は、厳しく制限され、難しいい状況でした。その際、太白クリニックの坂平先生に、助けて頂き、紹介状とデータを坂平先生に診て頂き、母親を診断して頂き、自分の希望で、宮城県立がんセンターへ、紹介いただきました。その際、坂平先生には、迅速かつ、臨機応変に、助けて頂き、本当に、感謝しております。

末期の膵臓癌との闘病は、厳しいものでした。自分の母親は、気丈な人でしたが、かなり弱っており、自分(明)が、先生からの話を聞き、判断し、治療を選択してほしいと言われました。先生からは、余命1ヶ月と言われ、抗がん治療と緩和治療のどちらかを決めてもらいたいと言われました。自分は、できるだけ母親と長く過ごせたら考えました。できるだけ、自分のアパートで一緒に過ごし、少しでも、希望を持って、気丈に生きてもらいたいと、妹と相談し、余命等はふせて、抗がん治療を母親に、勧めることとしました。

膵臓癌の進行は、他の癌との比ではなく、ものすごい速さで進行し、先生に、抗がん治療を開始できる確率は、30パーセトと言われました。母は、癌で、内臓が圧迫し、食欲が減衰し、かなり酷い下痢に、悩まされていました。見ていて、元気な母の面影はなく、それでも、必死に、生きるためにに、ご飯を食べてくれました。2度の胆管のオペ、感染症による抗がん治療の延期を乗り越え、抗がん治療を開始し、3回の抗がん治療をし、2セット目の1回目の抗がん治療を受ける事ができました。何度も、入退院を繰り返し、何度も、救急車に運ばれましたが、自分と、看病の来てくれた妹と、親子3人で、多くの密度の濃い時間を過ごせたと、神様に感謝したいと思います。

母親は、段々、パンツも自分で下ろせなくなり、自分の情けなさで、泣いていることもありましたが、それも、抗がん治療を乗り越え、少しずつ良くなることを考えてくれていたと思います。なので、立ち上がることも、一人でできなく、トイレも、二人がかりでの大変、母親の体力を奪う行動でしたが、最後までポータブルのトイレを拒否し、自分と妹に、介助の仕方を母親自ら指示し、監督していた母親の姿は、いつもの勝ち気で、気丈な母そのもので、いつも、自分達や、看護婦さんに、有難うと気を遣っている母親は、最後まで、いつもの衣斐慶子でした。

最後まで、母親や家族の要望を聞いて頂き、一緒に戦ってくれた宮城県立がんセンターの太田健介先生、また、支えてくれた看護婦さんに、心より感謝申し上げます。また、母親を第一に考え、仕事で、大変ご迷惑おかけしました。度重なるアポイント変更、先生の変更を了承頂き、温かい励ましのお言葉を頂いた患者様には、心よりお詫びと感謝申し上げます。

5/6より、ゴールデンウィーク明けの診療を開始します。まだまだ、できたばかりの新しいクリニックです。スタッフも若く、自分自身、目指すクリニックのい形まで、道半ばですが、日々感謝の気持ちを忘れず、謙虚さや素直さを大事に、日々成長し、患者様から、信頼され、愛されるクリニックを作っていきたいと考えています。

末長く、何卒富沢西EBデンタルクリニックを宜しくお願いいたします。

 衣斐 明

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